自己啓発ときくと胡散臭い、インチキっぽい、宗教ですか、と感じる人も多いと思います。
そもそも自己啓発とは、自分のレベルアップの為の行動のことです。
自己啓発(じこけいはつ)とは、自己をより高い段階へ上昇させようとすることである。「より高い能力」、「より大きい成功」、「より充実した生き方」、「より優れた人格」などの獲得を目指す。
ウィキペディアにもこう書かれています。つまり自己啓発は、よりよい人生を生きようとする為には必要な事。小学生だって漢字を覚えたりホームランが打てるよう練習したり、自分のレベルアップの為に行動しています。自己啓発じたいは決して怪しいものではないのです。
しかし一般的に胡散臭いと思われがちなのは、精神的な自己啓発。アドラーとかナポレオンヒルとか、日本人だと斎藤一人さんや小林正観さんが有名でしょうか?私は個人的にワタナベ薫さんが好きです。
著書を読んでみると分かるのですが、宗教ではありません。精神的なレベルアップ、心のレベルアップを応援してくれて、違う考え方を教えてくれる、純粋な参考書です。
でも自己啓発病とか、キャリアポルノとか言われちゃう事もあります。自己啓発は関わり方によっては逆効果になることがあるのです。そして自己啓発によって他人に不快な思いをさせてしまう事で、「あの人は変な宗教をしている」と思われることがあるのです。
そこで自己啓発書を読むにあたっての心構えを私なりに考えてみました。
一、メモを取るべし
いくら素晴らしく参考になる本を読んでも、目からうろこの言葉があっても、忘れてしまっては意味がありません。そして人間は忘れる生き物です。
本を読んで、なるほど、こんな考え方をしたい、こんな習慣を身に着けたい、こうなりたい、と思ったらメモです!忘れてしまっては読書の時間が無駄に。
一瞬の満足感を得るためにまた違う自己啓発本を読むことになってしまいます。それが自己啓発の中毒性と言われているようですね。
メモを取り、納得してから行動に起こす。読んだだけでは何も変わりません。
二、熱く語るべからず
自己啓発本を読むと、気持ちが高ぶります。他の人にもシェアしてあげたいと思うあまり、まるでリンカーンになったような気持ちのまま他人に熱く語ってしまう事があります。(リンカーンは言い過ぎ?笑)
しかし他人は、ほとんどの場合そんな自分勝手な講演を望んでいません。自己啓発書によくある、成功、感謝、言霊、宇宙などなど、自己啓発書をあまり読まない人からすると宗教としか思えません。
熱く語りたい時は、自己啓発に理解のある人に。もしくはブログなど、他人に迷惑のかからないように思いっきり語りましょう。
三、我に返るべし
たまに、我に返って自分の気持ちに素直になってみましょう。
自己啓発本を読んでいくと、その説得力の強さや考え方の斬新さに心奪われます。そして夢中になります。その著者の考え方を自分の考え方にしてしまいます。
でもいくつか本を読んでみると、時代や著者の考えた方によって矛盾した事が書かれていたりします。夢中になった分、説得力がある分、混乱します。
いくら説得力のある内容でも、好きな著者でも、人間は一人一人価値観が違うのです。
そこで、自分の考えがなんなのかわからなくなって混乱する前に、たまに我に返って自分の素直な考えを開放しょう。素直な自分になる事で、どの考え方が自分の中で消化できるのかわかってスッキリします。自己啓発に飲み込まれるのを防ぐことができます。
さいごに
偉そうなことをつらつら書いてみましたが、こんな私も自己啓発本、読みます。そしてそんな自分に向けての記事だったりします(汗)
なので、たまに気分が高まったまま熱く長くめんどくさい記事を書くこともあるかも。そんな時は「めんどくさ!」と思ってスルーしてくださ・・・いや!「今めんどくさいよ!」と教えてください!(笑)
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