
今日は、とても悲しくてとてもまじめな話をします。
ちょっと今は読みたくないって思ったら、今は読まないでください。
(記事UPしといてすみません)
読めるときに、読んでいただけると嬉しいです。
思い出になった友人
三年前の夏に、私の同じ年の友人は亡くなりました。
27歳でした。
お世辞の必要がないくらい美人で、ピカピカのお肌につやつやのロングヘアーでスタイルもよくて、それでいて謙虚で、いつもいい香りのするステキな女の子でした。
某ジュエリーショップで働いていたのですが、体調が悪くなってしばらく休むことになり、それから二週間後に天国へ行きました。
急すぎて、誰も信じられなかった。でも一番びっくりしているのはきっと、その友人本人です。
亡くなる二か月前には、いつものメンバーでいつも通りに居酒屋でおしゃべりしてカラオケで盛り上がってたのに、まさか。
友人の27歳の誕生日、バースデーケーキを囲んでみんなでおめでとうして、盛り上がってから数か月後に、
まさか。
その日、「今日、お通夜だよ」というLINEを見た時の事は忘れられません。
今日も生きている事
これまで、「生きてる」ことについて深く考えたことがなかったけど、
友人が突然天国へ行ってからはよく考えるようになりました。
何も考えずただ毎日過ごしているけど、私たちって今、たしかに生きてます。
ケーキが美味しいって思うのも、朝の空気が気持ちいいって思うのも、子どもを抱っこできるのも、生きているからできることで、
でも生きてることって当たり前のことじゃない。
そう思うと、目の前にあるモノが急に鮮やかに見えてきて不思議な感覚になります。
いないけど、つながれる
「死」について考えることは、人生とか、時間とか、生き方とか、いろんな事を考えるきっかけになりました。
いつも子育てに必死で過ごしているけど、この時間も永遠じゃない。
子供もすぐに大きくなるだろうし、私の人生だってずっと続くわけじゃない。
それどころか、いつ人生が終わるかなんて誰にもわかりません。
そう考えるととっても悲しくて寂しい気持ちになるけど、今を丁寧に過ごす事とか、今をどう過ごすか考えることって、すっごく大事な事なんだろうなって思います。
友人がいなくなって、頭の中が落ち着かずもやもやしてたけど、この本を読んで少しづつ気持ちが整理できました。
さいごに
三年たつけど、なんかまだ「亡くなった」っていうのが消化できてなくて、ふと「何してるんだろう」って考えることがあります。
もし、私が100歳のよぼよぼのおばあちゃんになって天国に行った時、友人は27歳のピチピチの姿で、「久しぶり~!」って言ってくれるのかな、なんて思ったり。
今日も、朝起きて一日が始まること。当たり前みたいだけど当たり前じゃないってことを、忘れないようにしたいです。