親の遺品や実家の物が多すぎるのは、昔の生活の知恵による副作用

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高齢化社会に突入した今、ますますお片付けって大事になるんじゃないかなって思っています。

色々な仕事がロボット化していく中、「片付け」という生活の基本になるとことに需要が増していくんじゃないかっていうお話です。

親の遺品が多すぎる・・・

先日参加した勉強会で、仲良くなった方に私がお片付けの勉強をしていることを話すと、

「親が亡くなった時のモノの片付けに困っている」

と、話してくれました。

モノを整理しないまま亡くなってしまい、「何を捨てていいのか何を残すべきなのか困っている」とのこと。特に骨董品は捨てるに捨てられず、だからってどこに持っていけばいいのかわからない・・・

そうか、私はずっと「お片付けは自分のモノから進めることが大事」と言っていますが、本人があの世にいってしまってもモノはあの世に持って行けないからこの世に残り続けるわけで、そうなったらもう自分のモノの片付けができないから家族が代わりに片付けをしなくちゃいけなくなるんですよね。

超高齢化社会で起こる「モノを捨ててはいけない」問題

昔と今ではモノの多さが違う

ひと昔前は、モノは少なくて高価で貴重で、“使えるものを捨てるなんてもっての他”でした。壊れても修理して使うから、簡単にモノを捨てるなんてことは許されない。モノを捨てないことが、モノを大事にすること、という時代でした。

でも今は、モノは安く大量生産されて簡単に手に入るし、まさに“モノが溢れる時代”です。安い材料で大量生産されて昔に作られたモノよりも壊れやすかったりするから、修理して使うよりも新しく買った方が経済的にも効率的だったりします。

また昔に比べるとモノを手に入れるのも簡単!欲しいと思えば近くのコンビニで大体手に入るし、100均へ行けば格安で便利アイテムが手に入る。近くのお店に売ってないモノは、ネットを使えば世界中のモノを取り寄せることができます。

それに加えて、この豊かな現代ではモノを他の人からいただくことも珍しいことではありません。

体は1つなのに、増え続けるモノを全て使い続けることができるわけがないんです。

経済は変わっても先代からの教えは変わらない

モノが少ない時は、「モノを捨てないことが、モノを大事にする」ということでした。

モノが溢れた現代でも、その考えはあり続けたまま。

“捨てる技術”が出版されたことで、「時代は変わったんだ」と理解する方も増えてきていますが、モノが少ない時代を経験した高齢者の方はやっぱりモノを捨ててしまうということに対しては「どうしてもできない、勿体無い」となるのは仕方ないのかもしれません。

世の中の状況と昔の考え方との大きなギャップが、「遺品が多すぎる」問題を引き起こしているのです。

昔の片付けは今の片付けとは違う

昔の片付けは、綺麗に収納に戻すことでしたが、今の片付けは“整理”がメインです。

つまり、「減らす」が片付けには絶対必要ってこと!

片付けという概念も、経済の成長によって今と昔では全然違います。

さいごに

親が元気なうちは捨てれるものも、いなくなってしまうとモノに「思い出」がまとわりついてちょっとしたものも捨てられなくなってしまいます。

何が必要で何が必要じゃないのか、それはそのモノを所有していた本人にしかわかりません。

でも、ずっと持っていた自分の考え方・価値観をすぐに変えることはできない。むしろ、その考え方でモノが少ない時代をうまく乗り切ってきた経験があり、そうやって少ないものを大事にしてうまく生活してきたからこそ豊かな今があるんだということを考えると、尊重すべき価値観ではあると思うのです。

高齢化社会では色々な問題がありますが、そういった遺品の整理・モノや片付けに対する考え方の面でも、これから「片付け」の需要は広がっていくのかな、と思うのでした。

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